FF10のスピラを覆った死の螺旋について
スピラでは1000年前に「シン」が現れて以来、繰り返されている死の螺旋が続いている。
この真実は決してスピラの民に伝えられることはなく、エボン教によって”いつか来る”とされた永遠のナギ節のみが人類の救済への唯一の希望だと説かれる。
しかしその実態は永遠に来ないものであり、スピラをコントロールする上での虚言であった事がブラスカやアーロン、ジェクトの旅によって証明されることになる。
それでも奇跡を信じて自らの命を落としたブラスカとジェクトは全ての思いをアーロンに託して究極召喚を使用してしまう。
シン(エボン)とユウナレスカが作り上げた死の螺旋とは、スピラにとっては呪いのようなものだった。
死の螺旋の始まり
死の螺旋が始まったのは本編から約1000年前のスピラ。
ザナルカンドとベベルの戦争により敗北を確信したエボンがシンを生み出した瞬間に始まることになった。
エボンは禁術とされてきた魂を像に封印する術を使い沢山の召喚士を祈り子として遺し、自らの「夢」や「理想」であった夢のザナルカンドを召喚させることになる。
その代償として、また夢のザナルカンドを維持することだけに執着するようになったエボンはシンという姿のまま以降のスピラの発展を阻害してきた。
娘であったユウナレスカでさえも命を犠牲にして、唯一シンを止める方法として究極召喚を編み出すものの
それはあくまでも一時的な処置であり、シンを消滅させるには至らない。
エボンの教えの裏側
スピラ中で信仰されているエボン教は真実を隠したままスピラに実質コントロールを企む。
シンとエボンを別の存在であるかのように見せかけ、ユウナレスカは死人となったまま歴代の召喚士に究極召喚召喚を授ける。
エボンの教えではシンは人間の”罪”の象徴であるとされ、人間が罪を償うまではシンは不滅の存在であるとされているが、実際にはシンは転生を繰り返すことから核となっているエボンそのものを倒さなければ消えることはない。
それでも僅かなナギ節を求めて、召喚士達は召喚の旅を行い、究極召喚によってガードと召喚士の命は失われてきた。
決して消滅しないシンとは究極召喚を糧に生まれ変わる存在であるからだ。
これこそが召喚士とガードがいくらシンを究極召喚で一時的に倒しても永遠のナギ節が訪れなかった原因
ユウナレスカとエボンによる「死の螺旋」の構造である。
死の螺旋とスピラの調和
世界そのものの運命をコントロールするという側面では非常に重く苦しみの1つであった死の螺旋ではあるが、ワッカを含めた殆どのスピラの住人はシンが不滅だという事実をある意味受け入れてしまっている。
これはユウナも同じで自分自身の命でナギ節をもたらすことが出来るのならば、究極召喚をもいとわないという姿勢にも見られる。
一番恐ろしいのは「幸福」や「幸運」など、スピラの人間にとって嬉しい出来事が起こった際にそれをエボンの賜物だとして有難がっていることだ。
巧妙に作られたこの管理システムは誰にも疑われることなく約1000年もの間、スピラを維持してきた。
元凶を崇めさせることによって覆らない世界を構築したエボン教はある意味恐ろしく賢い集団であるとも言える。
さらに言えば、祈り子達は真実を知りながらもそもそもスピラには殆ど関心がなかった。
しかしジェクトという夢のザナルカンドの住人が究極召喚となったことによって考えを改めることになる。
そういった意味ではFF10の死の螺旋を断ち切るキッカケを作ったのは主人公ティーダの父であるジェクトだと言えるかも知れない。