FF10のエボン教がいかに恐ろしい洗脳集団だったかを考察してみた
FF10で召喚士達のサポートをしつつ、絶対的な勢力を誇る集団がこの「エボン教」である。
スピラで一番の都会といわれる「ベベル」に宮殿、本部を置き、スピラ全土にその信仰をもたらしている。
ティーダは別としてもユウナやワッカ、ルールーは元々エボン教の信者であると言えるし、その本性に気付いてからも戸惑う場面が多々見られた。
これは善悪の判断が既に正しく出来ないほど、洗脳された状態にあると言っても過言ではないだろう。
エボンの長老であるマイカ
四老師の筆頭であり、いわば現代の教祖となっているマイカ老師は死人であり、召喚士によって究極召喚がなされて一時的に「シン」という恐怖からスピラが開放されたとしても、究極召喚による死の螺旋においてシンは不滅であり、その存在が消えないことを知っている。
もちろんこの真実は一般的なエボン教の信者には伝えられていない。
エボン教の教義とは
- 質素倹約こそが人間の「罪」を洗い流す唯一の方法である
- 発展しそうなスピラの各地に現れる「シン」は機械に頼った人間の奢り高ぶった”罪”である
- 人間はその罪を洗い流して”いつか”来る永遠のナギ節を待つのだ
っと要約すればこのような事だ。
しかし、裏を返せば今、現在の文明をトドメておくために機械文明の発達を妨げている。(ただしエボン教の本山である聖ベベル宮の内部には明らかに機械っぽいフロアもある)
ここで一番恐ろしいのは
このマイカ老師ですら「この死の螺旋を維持することがスピラにとっての最善」だと考えていることだと個人的には思える。
何度もいうようだが、ユウナレスカから究極召喚を授かった召喚士が究極召喚を使えば一時的には「シン」は消える。短い短い「ナギ節」が訪れるのは確かだ。
しかし、シンの核であるエボン=ジュはまたその究極召喚をシンとしてしまうために永遠にシンは倒されない存在である。
ワッカすら困惑するほどの浸透率
ワッカすらとう言い方が正しいかどうかはわからないが、パーティーのキャラクターの中で1番エボンの教えに忠実なのはワッカである
ワッカの弟チャップはシンの討伐隊として亡くなっていたが、その際に機械に頼ろうと考えた時期があった。
作中でワッカは明らかにそれに嫌悪感を抱いている。
またスピラでは異端とされる機械を使用している「アルベド族」を一番嫌っているのもワッカだ。
ワッカがアルベド族を差別する理由は他でもなく「エボンの教えである反機械文明の生活をしていない」からだ。
一般市民の間での基本的にアルベド族は異端とされている
しかしリュックの口ぶりを見る限りアルベド族は召喚士が犠牲になってもシンが消滅しないという真実を知っているようにも思える。
スピラにとって、ティーダ達にとってはっきりと正しい選択が「シン」を消滅させることだったのかはわからない。
ただし、真実を捻じ曲げたまま1000年という期間を繰り返してきたエボン教はそれほど影響力の強い集団だということだ。
狂信という呪縛
エボン教に属している人間、特にマイカ老師に関してはエボンの功績を知っていることから”絶対的な存在”としてエボンを崇めている。
事実、エボンは1000年前のザナルカンドを救ったという功績があるのも確かだが、スピラを維持するには「絶対に機械文明を発展させてはならない」という怨念じみた感情が渦巻いている。
だからこそ人々が集まって文明が発達しそうになった場所にシンが現れて破壊を行う
しかし機械を「悪」であり「罪」として判断したのはエボンの利己的な判断だ。
戦争という立場にあって機械文明に負けそうになったから、シンを召喚してその機械文明はほとんど滅んだのだから。
これは人種や民族差別を超えている。捉え方によっては虐殺である。
教義の歪み
エボンは本心からスピラで戦争が起きない為には「機械文明」は必要ない、危険なものだと判断したのかもしれない。
しかし、いつからかエボンの思考はただただ現状のスピラを維持し、「夢のザナルカンド」を召喚し続けるということだけに行動が変化している。
これはもう一種の「人間の管理」の領域であるから、たとえそれが正しい道だとしても、自然の摂理には相反している。
それでも、シンという脅威をもって真実をひた隠し、小の犠牲をもって大を維持し続けてきたのが「エボン教」だ。
1000年の間に人々に与えられた希望は絶対にくることのない「いつかの永遠にナギ節」だけなのだから。