FF10の世界観、宗教や民族のモデルや元ネタについての考察
こちらの記事はあくまでも「FF10」という娯楽作品を現実的なレベルの存在する宗教要素や世界観などを個人的見解によって考察したものになります。
従って、特定の宗教、及びその民族性を否定、肯定するものではないことを先にご理解下さい。
FF10の世界観について
FF10の世界観と一口に言っても様々な要素がある。
召喚獣を使用する召喚士が巫女のような姿をしていたり、人間ではないロンゾ族という獣人とも言えるような種族が存在していたり、死人という死んでいるにもかかわらず現世に残って肉体を保っているというファンタジックな側面もあるからだ。
ヒロインであるユウナは他の召喚士よりもモデリングの衣装が和風でまさに巫女のような姿をしている。
本来巫女とは神に仕える女性を指すものではあるが、有名な卑弥呼などは巫女は巫女でも神との対話をしていたという逸話もある。
そして召喚士は祈り子という偶像から夢を授かる事で生命エネルギである幻光虫との結合を行なって超常現象とも言える召喚獣を使役している。
逆に死人の魂を異界送り(いわゆるあの世)するという仕事もあるので、個人的には召喚士は巫女+陰陽師をベースにFF独自のアクセントを加えたものだと考えている。
ただし広い意味での世界観はやはりファイナルファンタジーという唯一無二の世界だとも思う。
世界観という意味ではファンの間ではまことしやかに囁かれているのが
FF7はFF10の未来の話だという説だ。
FF7に登場する星の命であるライフストリームが幻光虫、レッドサーティーンはキマリ達ロンゾの末裔(ただしFF7の設定上ではレッドサーティーンの種族は物凄く長寿である)、古代種という不思議な力を持った存在はFF10の召喚士なのではないかと考えられる。
宗教や民族的なモデル
FF10で世界的な宗教は「エボン教」である。
機械文明を拒否し、質素倹約というお題目の上でシンの正体を知りながら、その教えに反するものを迫害している。
大きな宗教が他の思想、民族を迫害するという宗教戦争は現実の世界でもある。
それは「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」という3つの世界的な宗教だ。
キリスト教は元々はユダヤ教の中で生まれた新しい神(新約聖書)との契約を説いた宗教であって、最初はユダヤ教の他の派閥に弾圧されたことも多い。
しかしキリストが処刑されたのちにパウロがエルサレムを離れて布教したことによってキリストの死後300年経った頃にはローマの国教となった。
一方、逆に迫害を受けたのは「十字軍」時代の「イスラム教」や「ユダヤ教」である。
ユダヤ教は古くから(キリストの生誕より以前の紀元前)から信じられていた宗教ではあるが、度々迫害にあっては流浪の民となっている
ここでFF10に話を戻すと「アルベド族」は迫害を受けながら砂漠をホームとして暮らしている面を見ると、「ユダヤ教」に近いことが分かる。
逆にスピラの民はキリストを迫害していた頃のローマのような印象もある
ちなみにユダヤ教を信じていたユダヤ人達は数度の迫害の末に世界中に散ったと言われている。
同じくこの3つの宗教の中では一番歴史は浅いが「イスラム教」は7世紀にムハンマドが興した新興宗教だ。
しかし例によって紀元1000年以降の「十字軍」の遠征ではかなりの迫害を受けたと言われている。
まとめ
随所には見られる特徴や、共通点はあるもののそれはあくまでも似て非なるものであることはこのFF10という作品を知れば誰にでも分かる。
ただ、「エボン教」という狂信的な巨大世界宗教と流浪の民である「アルベド族」、そして巫女の姿で死者を鎮魂する召喚士などを見ると、これらの1部が要素として元ネタになった可能性も0ではないというのが結論だ。
しかし最後にもう一度書いておきたいのは、FF10はゲームという作品であって、当然全てがフィクションである娯楽作品だということ。
そしてこの作品には色々なテーマが詰まっているということを知ってもらいたい。