エボンの賜物(たまもの)とはどういう意味なのか?
FF10の舞台となっている世界には1000年前にザナルカンドを救ったとされる最初の「大召喚士=エボン」を崇める集団であるエボン教という宗教団体を兼ねた政治的集まりがある。
このエボン教に所属しているのは、代々の召喚士やガード達、そしてスピラに生きる人たちの大部分であり、ほとんどの人達はその教えを忠実に守り、生活の掟としてエボンの教えの上に生まれ育つ。
リュックの出身であるアルベド族はエボンの教えには従わず、機械文明に頼り生活しているが、エボンの教えからそれを見れば立派な反逆行為となる。
エボンの教えとは「機械文明」に頼らないで生きていくことを念頭に置いている。
エボンの賜物という意味
エボンの賜物(たまもの)とはすなわち
エボンから賜った(授かった、もしくは恩恵、おかげなどの意)という意味がある。
どうしてスピラの人々が「エボンの賜物」と表すのか?
それは冒頭でも書いたように「エボン教」という大きな宗教的文化がスピラに根付いており、そこで生活している人々はその教えを忠実に守り生活をしているからだ。
エボンの教えを守ることが人生の向上に繋がり、果てはスピラの為になると信じているからこそ、
何かありがたいことが起こった時には「エボンの教えのお陰だ」という感情が生まれ、逆に何か悪いことが起こった場合は「エボンの教えを守らなかったからだ」となる。
ちなみに実際のシンはエボン教の元となったエボンの魂であるエボン=ジュが転生を繰り返し、「夢のザナルカンド」を召喚し続けるための存在ではあるが、一般的にはそう説明されていない。
スピラの破壊を度々続けるシンは人間のかつての「罪」の象徴であり、シンによる破壊は機械を使い驕り高ぶっていた人間への罰であるとされている。
実際にはエボン教の総帥であるマイカ老師などはシンの正体を知っており、シンは究極召喚によって消滅させることが出来ない事を知っているが、ある意味狂信的なエボンの信者であるがゆえに真実は伏せたまま、教義を教え広めている。