FF10の世界ではラスボスとして扱われ、ティーダやユウナの運命、そしてスピラ全土を支配していた
ユウナレスカとシン(エボン)の親娘
このゲームの1つの魅力的な部分でもあり、プレイする度に思わされる事があります。
それはユウナレスカやシンは本当に「純粋な悪の存在」であったのか?という疑問です。
もちろんスピラの世界の住人を見せかけの「教え」によって縛ることでコントロールをしたり、罪のない人々がシンが暴れることによって亡くなってしまったことは事実ですが、
そもそもFF10のシナリオ背景にはベベルという古代の機械文明と当時のザナルカンドの戦争という愚かな行為が発端だということが分かります。
ザナルカンド遺跡でユウナレスカはユウナたちに問います。
「人の罪が消えることなどありますか?」
ここでユウナレスカ言う”罪”とは1000年前に戦争という事態に発展した経緯に、機械文明の異様な発達とそれを軍事利用した人間のことを指しているのは明らかです。
他でもなく戦争を起こした本人はスピラの住人達だったという訳ですね。
とすれば一概にシンやユウナレスカを悪だと言うには少し抵抗を覚えてしまいます。
明かされた真実から考える善悪
ザナルカンド遺跡へティーダ達が向かった時に、初めて究極召喚によって誰かが犠牲にならなければならないことをユウナは知ることになります。
ユウナは元々自分自身だけの命であれば差し出す覚悟が出来ていたのです。
しかし、ユウナレスカに「誰かを選びなさい」と言われたこと、そして究極召喚を糧にしてシンは生まれ変わるという真実を受け入れずにシンそのものを倒すという選択をします。
「シンはスピラの背負った運命。永遠に変えられぬ宿命です」
上記はユウナレスカのセリフですが、これもやはり過去の戦争の当事者であった自らの父と、シンという怪物を生んででも1000年前のスピラを救ったという自負が感じ取れるように思います。
過去の悲惨な戦争を”罪”というユウナレスカは本当に悪なのでしょうか?
またスピラにとって一度起こった機械文明の暴走、つまり文明的な進化は本当に正しいのでしょうか?
少し見方を変えると、これはキリスト教などの聖書に登場する原罪にも似ています。
アダムとイブが食べた知恵の実=機械文明というあくまでも個人的な解釈ですが…
善悪の正解はないからこそ自らが判断する
FF10のキーテーマの1つに自分自身が判断するというものがあります。
過去の戦争という現実やシンの正体、夢のザナルカンドの正体、ジェクトが何故シンになったのか。
それら隠されてきた真実とティーダやユウナが向き合った時にどうするのか?
アーロン「さあ どうする!今こそ決断する時だ!死んで楽になるか 生きて悲しみと戦うか 自分の心で感じたままに 物語を動かす時だ!」
突きつけられた現実を前にユウナ達を鼓舞するアーロンの名台詞です。
自然の摂理を外れる行為
ユウナレスカやシンが行なってきた破壊と再生によるスピラの秩序はあくまでもこの2人を中心に”管理”されてきた歴史ですから、自然の摂理には反していると言えるでしょう。
結果的に、大を保つために小を犠牲にするといった選択をしてスピラにもう1度戦争が起こらないような”管理”をしていた訳ですから。
もちろん通常の倫理観であれば戦争なんてものは無いほうが良いに決まっています。
ですからユウナレスカやシンが行なった事は必ずしも悪とは呼べません。
ただし、悪とは呼べませんがその”管理”の犠牲になってきた人間も大勢いるのです。
ユウナの父ブラスカやティーダの父ジェクトなどはまさにその典型ですし、討伐隊として亡くなったワッカの弟チャップもその犠牲者の1人でしょう。
そういう意味では「正しい選択」だったかどうかは結果的にわからないのです。
ユウナレスカとシンは”未来”をあえて創らないように、また創られないように行動しています。
しかしそれは同時に”希望”もないということになるからです。